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芸術なんて本当に、何の役にも立たない。
それなのに、人間の持つ最も崇高なもんの一つなんて思われてる。
芸術の神様は誰も救わない。誰も喜ばせない。
たとえ芸術と接した事で救われた人がいたとしても、それは芸術のちからじゃなく、その人が勝手に助かっただけの話しなんだと思う。「ああ芸術やっててよかったな。」「素晴らしいアートに出会えてよかったな。」と、勝手に価値を見出して、いや見出してというか生み出して練り上げといて、やあやあすごく良いものみつけたぞ!と、一人で喜んでるだけなのかと。
平和や愛を願って何かを作った人の、みんながみんな、救われると思うのかい?
自己精神の平穏を創作のなかに見つける為に、絵筆を走らすみんながみんな、幸せな一生を過ごせたと思います?
芸術って、自分では少しも動かないし、何も言わない。
ところが存在だけはとんでもなくでかいから、「芸術!」といえば、「ほうほう成る程」なんて一定の価値がついてしまう。そこにある程度の技術があれば、「なんとすごい!まさに芸術!」なんてことになってしまう。どんな意志をもつ作品でも、そうなる可能性がある。
…そこになにがあるの?人それぞれの価値観があるのさ、って?解りあって許し合え、って?そしたら喧嘩も不倫も殺人も戦争もなくなるよきっと、って?ああ今日もお星様きれいだな、って?イッツアシャイニーディ!って?
そういうのはよそでやってくださいませませ
こっちのほうでは取り扱っておりませんから
もっとドロドログチャグチャですよ芸術
言葉では言い表せない程、人間の汚い部分の結晶ですよ
現に、その見た目ときたら、言葉では言い表せない程美しいものではないですか。
僕はその汚さを見過ごさない。全部暴いて「キラキラした芸術」に叩き付けてやる。
同時に、僕が信じてた、崇拝してた芸術に対しての宣戦布告であります。
もちろんこれは反芸術なんてインテリジェンスなものではありません。
そう、反発している訳ではないの。
知りたいだけなんです。ホントの姿を。
そしたら、そうしたら、いつか自分のも含めた汚れ切った芸術も受け入れられるかな。
…
言葉が足りん。
当たり前か、絵ー描くしかできない人間なら。
それなのに、人間の持つ最も崇高なもんの一つなんて思われてる。
芸術の神様は誰も救わない。誰も喜ばせない。
たとえ芸術と接した事で救われた人がいたとしても、それは芸術のちからじゃなく、その人が勝手に助かっただけの話しなんだと思う。「ああ芸術やっててよかったな。」「素晴らしいアートに出会えてよかったな。」と、勝手に価値を見出して、いや見出してというか生み出して練り上げといて、やあやあすごく良いものみつけたぞ!と、一人で喜んでるだけなのかと。
平和や愛を願って何かを作った人の、みんながみんな、救われると思うのかい?
自己精神の平穏を創作のなかに見つける為に、絵筆を走らすみんながみんな、幸せな一生を過ごせたと思います?
芸術って、自分では少しも動かないし、何も言わない。
ところが存在だけはとんでもなくでかいから、「芸術!」といえば、「ほうほう成る程」なんて一定の価値がついてしまう。そこにある程度の技術があれば、「なんとすごい!まさに芸術!」なんてことになってしまう。どんな意志をもつ作品でも、そうなる可能性がある。
…そこになにがあるの?人それぞれの価値観があるのさ、って?解りあって許し合え、って?そしたら喧嘩も不倫も殺人も戦争もなくなるよきっと、って?ああ今日もお星様きれいだな、って?イッツアシャイニーディ!って?
そういうのはよそでやってくださいませませ
こっちのほうでは取り扱っておりませんから
もっとドロドログチャグチャですよ芸術
言葉では言い表せない程、人間の汚い部分の結晶ですよ
現に、その見た目ときたら、言葉では言い表せない程美しいものではないですか。
僕はその汚さを見過ごさない。全部暴いて「キラキラした芸術」に叩き付けてやる。
同時に、僕が信じてた、崇拝してた芸術に対しての宣戦布告であります。
もちろんこれは反芸術なんてインテリジェンスなものではありません。
そう、反発している訳ではないの。
知りたいだけなんです。ホントの姿を。
そしたら、そうしたら、いつか自分のも含めた汚れ切った芸術も受け入れられるかな。
…
言葉が足りん。
当たり前か、絵ー描くしかできない人間なら。
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